観光部ブログ

2017年08月11日(金)

〜「京都のヒーロー:源義経を追いかけて」の巻〜 ピロピの 新人ドライバー奮闘記!  SEE THE LIGHT! [観光情報]

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皆さん。
残暑お見舞い申し上げます。



今回は京都生まれ、京都育ち、
日本史上最も人気のある、なぞに包まれた武将、
京都のヒーロー「源義経」にスポットを当ててみました。



義経に関連する京都観光を紹介しようと思います。





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義経。

「判官びいき」という言葉は
義経の短い、華麗な、謎の人生を
後世の日本人が愛してきたことを
表す言葉で、

悲劇的ではあるが
華やかな義経という武将を、
鎌倉幕府を築き歴史上名を遺す
兄の頼朝よりも好む、
日本人の国民性を表していると思います。




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九郎判官・源義経は京都生まれ。

幼い頃父・義朝を亡くし、
母・常磐御前が敵方の平清盛の愛妾になることで
義経は生き延びる事になります。

幼名を牛若丸といい、
6歳の時、僧侶になるべく鞍馬山に預けられるが、
夜な夜な抜け出し、
天狗に兵法修行を受けていたという話は有名。

その後、奥州へ渡り藤原秀衡の擁護のもと成長し、
異母兄・頼朝の挙兵に応じて平氏追討の戦いに参加。

宇治川の戦い、一の谷、屋島、壇之浦など数々の戦功を立てる。
戦いには天才的な能力を発揮するが、政治能力はなく、
間もなく頼朝に疎まれ、
逃れた奥州衣川で武蔵坊弁慶らに守られて自刃しました。

後世、「義経記」をはじめ、
「義経千本桜」など、現在ではアニメやコミックの主人公として
義経は愛され続けて多くの伝説も残っています。


義経の故郷、京都にも鞍馬山にもゆかりの史跡が多く残されている。 

その史跡を巡ってみましょう。

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北区紫竹に牛若丸が幼少期を過ごした 「牛若」という地名が残っています。

父・源義朝の別邸が紫竹にあったとされ、
母・常磐御前はこの地で牛若丸を出産。
そのため牛若丸と生母・常磐御前にまつわる史跡が数多く残ってます。

まず市バス46号系統「牛若」で下車してみましょう。

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常徳寺。

北山通と牛若通が交差する角に常徳寺はあります。
お堂の奥に常磐御前が牛若丸の安産を祈願して寄進したと伝えられる
「常磐地蔵」が鎮座しています。


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常徳寺付近の光念寺にも
常磐御前の守り本尊「腹帯地蔵」が 祀られています。

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紫竹付近に源義朝邸があったとされていて、
「牛若丸誕生井」と刻まれた大きな石碑が、畑の中に立っており、
その裏側に小さな井戸があった。
同じ敷地内には「胞衣塚」と言われる小塚があり、
ここに牛若丸のへその緒と胞衣が埋められたと伝えられています。

(地図を参照ください)

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首途八幡宮。

市バス46号系統に乗り、千本今出川バス停下車。


西に7分ほど歩き、今出川智恵光院上がったあたりに
「首途八幡宮」(かどではちまんぐう)がある。

ここは義経を奥州に導いた金売吉次の邸宅があった所で
首途(かどで)という名の由来は義経が奥州出発に際し、
ここで道中の無事を祈願したところから来ている。

現在でも義経にあやかって
旅行の安全を願う参詣者が多いと聞きました。



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三条河原町を西へ


三条麩屋町東のビルの前に、
「弁慶石」がある。

牛若丸を助けた弁慶が常に腰掛けていた石だとも、
比叡山から弁慶が投げた石とも、
平泉衣川の戦いに立ち往生した弁慶がこの石になったとも、
不思議な伝説があります。

元は鞍馬口にあったものが
洪水によってこの地に流れ着いたそうです。

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蹴上

三条大橋を渡り京阪三条から西へ。
蹴上という地名があります。

奥州へ向かう途中、
義経は蹴上の地で9人の平家の追手を殺しました。
(武者の馬が蹴上た泥水がかかったので怒って殺したので
蹴上という地名になったという説もあります)。


義経大日如来

その菩提を弔うために9体の地蔵を祀ったというのだが、
そのうちの一体が
蹴上のインクラインを上がったところにある「義経大日如来」です。

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牛若丸弁慶像


牛若丸と弁慶が決闘した五条大橋を渡ると、
小さな石造りの牛若丸と弁慶像が見えてくる。
実際は現在の松原橋あたりが当時の五条大橋。


牛若丸はここ五条大橋の欄干の上で
刀狩をしていた弁慶の攻撃をひらりひらりと交わした?
そして弁慶は牛若の家来となった?
という伝説は皆さんご存知でしょう。

義経も弁慶も伝説の多い存在で
ほとんどが後世に作り足されたものだと
思いますが、
鎌倉方の手記にも義経の武勇伝は多く残されていることや

一の谷の大勝利のあと、
あまりの義経人気に 頼朝によって軍から外されるが、
戦況が停滞したことで
義経復帰、一気に大勝利したこと、

そういった事実から義経の華やかさや軍事的才能は
ヒーローにふさわしい存在であったのは間違いない
と思います。

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Posted by 観光部

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