観光部ブログ

2017年07月10日(月)

〜「祇園祭」の巻〜 ピロピの 新人ドライバー奮闘記!  SEE THE LIGHT! [観光情報]

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皆さん こんにちは。

7月に入り京都は「祭りムード」満開です。

今回は「祇園祭」にスポットを当てたいと思います。

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「祇園祭」は
八坂神社の祭で、毎年7月1日(吉符入)から31日(疫神社夏越祭)まで、
1ヶ月にわたっておこなわれる日本三大祭のひとつ。

17日(前祭・山鉾巡行と神幸祭)と24日(後祭・山鉾巡行と還幸祭)その宵山が有名ですが、
実に多彩な祭事がおこなわれる、大きな祭りです。

 

今からおよそ1100年前の(869年)に、京洛に疫病が流行し、庶民の間に病人、死人が多数出たそうです。
これは、牛頭天王(ごずてんのう、素盞鳴命ともいわれている。)のたたりであるとし、
そのご機嫌をとるため神をまつり、祇園社(八坂神社の前身)を信仰し、病魔退散を祈願したというのが始まり。

その方法は、日本全国の国の数に準じて66本の鉾をつくらせ、それを神泉苑(中京区御池通大宮)におくり、
悪疫を封じ込む御霊会をおこなったのがはじまりであると伝えられている。
その後、祇園社の興隆とともに、"祇園御霊会"とよばれ、この名が略されて単に祇園会とよばれるようになった。

その後は応仁の乱などで
再三中断されていたものの
先に述べた祇園会などの強い思いもあり
京都の歴史とともに存続されてきた祭です。

鉾が今のような形になり、豪華な飾りをつけるようになったのは、
桃山時代から江戸時代にかけて貿易がおこり、
町衆の間でゴブラン織や西陣織などが
競って用いられるようになってからであるそうです。


それでは
「祇園祭」の期間 どのような行事があるのでしょうか?

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7月1日から
吉符入(きっぷいり・各山鉾町ごとに日付が異なるが5日までに行われる。多くが一般非公開)。
祭りの始まり。各山鉾町関係者が町会所に集まって祭の無事を祈願する。
長刀鉾町稚児お千度(八坂神社)。

7月2日
くじ取り式(京都市役所)。下記参照。
山鉾町社参(八坂神社)くじ取り式を終えた山鉾町の代表者が八坂神社に向かい本殿でお祓いを受ける。

7月3日
船鉾神面改め(船鉾町町会所・一般非公開)本面と写し面の2つの神面を出して無事を確認する。


7月5日
長刀鉾町稚児舞披露(長刀鉾町町会所)。
稚児が長刀鉾町の関係者の前で稚児舞を披露し、
これでよい旨の了承が得られると町会所2階の窓を鉾の前面に見立てて、大衆に稚児舞を披露する。

7月7日
綾傘鉾稚児お千度(八坂神社)。
長刀鉾町お千度と同様に、正副6人の稚児が八坂神社で稚児に選ばれたことの奉告を行いう神事の後、
関係者を従えて3回本殿を回る「お千度」を行う。
また、この時に稚児役の少年は山鉾町と形式的に養子縁組する。

7月10日
神用水清祓式(四条大橋および宮川町堤)。
四条大橋のすぐ南の東岸に作られた祭壇で神事を行ったあと、
四条大橋の上から桶を使って夜の神輿洗いで使う水を鴨川から汲み上げる。

お迎え提灯。提灯に加え、児武者、鷺踊、小町踊らの子供たちを中心に、
各山鉾町からの代表者らも加わり八坂神社から、
2013年(平成25年)までの花傘巡行と同一コースを提灯行列を作って巡行する。
京都市役所前で各種芸能を奉納し、八坂神社西門下に戻って神輿洗いに向かう前の神輿を迎える。

神輿洗い(四条大橋)。
大松明が八坂神社から四条大橋のういだの四条通を清めたあと、
3基ある神輿のうち、中御座だけが代表して四条大橋まで行く。
朝汲んだ水を榊に含ませて大きく振りかざし、神輿に振り掛けることにより清める
この際榊に含まれた神用水は見物人を含めた周囲の人にも掛かる。
飛沫を浴びると厄除けになるという。

7月10日〜12日 - 前祭の鉾建て(四条通・室町通)。
分解収納されていた鉾を組み上げ、懸装を施す。

7月11日〜13日 - 前祭の鉾建て・曳山建て(新町通)

7月11日 - 鉾の真木の引き起こし(長刀鉾・函谷鉾・鶏鉾・月鉾・菊水鉾)
年・鉾により異なるが、10時ぐらいから15時ぐらいまでの間に順次行われる。

7月12日
前祭の舁山建て(午前)(保昌山・山伏山・芦刈山)
前祭の鉾の曳き初め。
14時・函谷鉾(四条通)。
14時30分・鶏鉾(室町通)。
15時・月鉾と菊水鉾(四条通と室町通)。
15時30分・長刀鉾(四条通)。
放下鉾の真木の引き起こし。岩戸山の引き起こし。
年にもよるが、12時から15時ぐらいの間に行われる。

7月13日
前祭の舁山建て(午前)(占出山・霰天神山・郭巨山・伯牙山・油天神山・木賊山・太子山・白楽天山・蟷螂山)
前祭の傘鉾建て(午前)(綾傘鉾)
12時、前祭の舁山の舁き初め - 蟷螂山(西洞院通)。
15時、前祭の鉾・曳山の曳き初め - 放下鉾・船鉾・岩戸山(すべて新町通)。
長刀鉾稚児社参(11時頃・八坂神社)。
久世駒形稚児社参(14時頃・八坂神社)。
菊水鉾茶会(この日から16日まで・菊水鉾町会所)
この日から一部の山鉾に駒形提灯が取り付けられ、宵々々山と同様の飾り付けや山鉾の拝観が始まる。

7月14日
前祭の舁山建て(午前)(孟宗山)
前祭の傘鉾建て(午前)(四条傘鉾)
前祭・宵々々山。
2013年(平成25年)まではこの日から露店が出たが、
2014年(平成26年)からは露店が出ず四条通・烏丸通の歩行者天国も実施されない。
そのため比較的落ち着いた人出となっている。

7月15日
4時30分・高橋町斎竹建(四条麩屋町交差点・巡行時、稚児が切断する注連縄を渡す竹を建てる)。
手洗井戸開き(早朝・四条錦小路交差点北)。手洗水の井戸の蓋をあけ、清祓を行う。
月次祭並庖丁式(10時・八坂神社)。

毎月15日の月次祭が祇園祭に重なるのに合わせ、日本式庖丁道生間流の庖丁式を神前に奉納する。
前祭・宵々山(この日と16日の宵山の深夜までの両日、出店・夜店が立ち並び、
四条通と烏丸通が歩行者天国になる)。

山伏山護摩焚き(14時頃 山伏山町路上)。
2014年から始まった行事。聖護院からやって来た山伏たちがまず町会所2階の
山伏像の神体の前で法要を行った後、23日の「役行者山護摩焚き」と同様に路上で護摩焚きを行うが、
護摩壇は役行者山護摩焚きのように巨大ではなく、
密教寺院の堂内で行っている程度のサイズである。

後祭も前祭と合同で開催されていた頃は役行者山護摩焚き
(7月16日の宵山の日に開催されていた)に参加した山伏達が、
山伏山に立ち寄って参拝するだけだった。
伝統芸能奉納(15時〜18時八坂神社 日本舞踊や尺八などを奉納)
宵宮祭(遷霊祭とも。20時・八坂神社)。本殿から神輿に神霊を移す神事。
クライマックスの5分間ほどは境内のすべての明かりが消され、闇の中を神霊が遷る。

7月16日
前祭・宵山。14日〜16日をまとめて「宵山」と総称することもある。
献茶祭(9時・八坂神社)。表千家と裏千家が隔年交代で、
神社境内の井戸水で茶を点てて神前に供える。
宵宮神賑奉納神事(18時・四条通祇園商店街)。
八坂神社近くの路上に作られた臨時ステージで舞楽・京舞・鷺踊などが奉納される)。
石見神楽(18時半・八坂神社)。
祭神にちなむ石見神楽が奉納される。
前祭・日和神楽(22時頃・各山鉾町〜八坂神社御旅所往復)。
次の日の巡行の安全と好天を祈願して、囃子方を持つ山鉾町の人々が祇園囃子を演奏しながら四条寺町の御旅所まで往復し、御旅所では囃子を奉納する。
船鉾神功皇后御神体腹帯巻き(23時30分・船鉾町町会所・一般非公開)。
宵山期間に町会所で授与された安産の腹帯は、普通はすぐに祈願者側に手渡さず御神体に何重も巻かれる。巡行後外したあと初めて祈願者に渡される。

7月17日
前祭・山鉾巡行。9時出発。下記参照。
神幸祭(神輿渡御)。通称「おいで」。

7月17日〜24日
無言詣(四条寺町・御旅所)御旅所に神輿が鎮座する間、
毎晩無言で夜間参拝を行うと、どんな願いも叶うとされる。
最終日は四条大橋と御旅所を7往復半するのが正式とされる。

7月18日〜20日 後祭の鉾建て(大船鉾)

7月19日〜20日 後祭の曳山建て(南観音山・北観音山)

7月19日

後祭の舁山建て(午前)(鯉山)
松取式(13時頃・六角町(北観音山の南側))。
北観音山と南観音山の2本の真松は市内鳴滝で伐採され運ばれてくる。
両町の代表者がまず予備抽選としてジャンケンをし、勝った方が本抽選の順番を決定できる。
本抽選は縄切れを引く方式のくじ引きで、勝った町が先に松を選ぶことができる。
勝った方は「良い松を選べた」負けた方は「良い松を残してもらった」と言うのが通例。
後祭の曳山の引き起こし(年にもよるが、15時から17時ぐらいの間に行われる)

7月20日

南観音山真松白鳩取り付け(朝)。前日に引き起こした山の真松に、
木登り名人の大工が登って。白鳩の木彫を取り付ける。
後祭の舁山建て(午前)(浄妙山・黒主山・役行者山・鈴鹿山)
後祭の舁山建て(午後・八幡山。八幡山は新町通にあるため、他の舁山のように午前から建て始めると15時に新町通で行われる曳山の曳き初めに支障するため)
15時・後祭の鉾・曳山の曳き初め - 大船鉾・北観音山・南観音山(すべて新町通。2014年(平成26年)は大船鉾のみ14時だったが、復興初年だったこともあり通りが見物客で大混雑し四条通から北に行くことを断念した。2015年以降は混雑を分散するため他の曳山と同じ15時に変更された)
15時・花傘巡行馬長稚児・児武者宣状式(15時・八坂神社)
16時、後祭の舁山の舁き初め - 八幡山(新町通)。

7月21日
後祭の舁山建て(午前)(橋弁慶山)
11時、後祭の舁山の舁き初め - 橋弁慶山(蛸薬師通)
後祭・宵々々山。

7月22日
後祭・宵々山。

7月23日
後祭・宵山。
煎茶献茶祭(9時 八坂神社)
琵琶奉納(13時 八坂神社)
役行者山護摩焚き(14時頃 役行者町路上)。
聖護院からやって来た山伏たちが宵山期間に奉納された護摩木を
路上に作られた大きな護摩壇で焚き上げ、
護摩を奉納した人の祈願成就と、明日の巡行の安全を祈る。
オハケ清祓(14時・境外末社又旅社)。翌日の還幸祭の時に神輿に乗った神霊は、
又旅社(御供社)のオハケと言う御幣に宿って休憩すると言われる。
そのオハケを予め清める儀式。
後祭・日和神楽(22時頃・各山鉾町〜八坂神社御旅所往復。
長刀鉾は八坂神社まで往復する。23時前後に各山鉾町に戻った一行は、
山鉾にもよるが山鉾のまわりでも祇園囃子を演奏したり、三三七拍子を行ったりする町もある)
南観音山あばれ観音(要員が日和神楽から戻り次第、23時〜23時30分頃開始)。
本尊の楊柳観音像を布に包んだうえ蓮台にぐるぐる巻にして、
同じく布に包んだ善財童子像を抱えた人の先導で町内を南北端の交差点まで走りながら3往復する。
交差点と南観音山の脇では「ワッショイ」の掛け声と共に激しく上下に揺らす。
夜更けの行事ではあるが多くの見物客で町内は埋まる。

7月24日
後祭・山鉾巡行。9時30分出発。
花傘巡行。下記参照。この日に行われていた後祭の代わりに始められたものだが、
後祭復活後も継続。一部区間では後祭・山鉾巡行に続いて巡行する。
還幸祭(神輿渡御)。通称「おかえり」。
22時頃から順次神輿が八坂神社に到着し、宵宮祭と同様に照明を消した中で神霊が本殿に移される。
丹波八坂太鼓奉納(八坂神社等)。
八坂神社の分社である京丹波町の「尾長野八坂神社」(八坂神社の御神田がある)
に伝わる太鼓を八坂神社境内や還幸祭の神輿渡御途中で奉納する。

7月25日
狂言奉納(13時・八坂神社)。境内の能舞台で茂山狂言が奉納される。
千団子(14時・境外末社又旅社)。還幸祭の際に神輿に供えられた団子を、この日お下がりとして参拝者に配布する。食べると厄除けの効果があるとされる。
7月下旬の日曜日
平成女鉾清音会八坂神社奉納囃子(15時30分 八坂神社)。

7月28日
神用水清祓式(10時・四条大橋)。夜の神輿洗いで使う水を鴨川から汲み上げる。
神輿洗い(20時頃・四条大橋)。7月10日の神輿洗いと同様であるが、終了後に神輿は蔵に収納される。

7月29日
神事済奉告祭(16時・八坂神社・一般非公開)祇園祭の終了を神に奉告する行事で、
かつてはこの神事が祇園祭の最後とされていた。旧暦(太陰暦)。
時代は6月が年により29日までの場合と30日までの場合があったため、
必ず存在する29日を祭の最後の日としたものである。

7月31日
疫神社夏越祭(10時・八坂神社境内摂社 疫神社)。
関係者に続いて一般参拝者が鳥居に取り付けられた茅輪をくぐり、護符を受ける。
茅輪の一部を切り取って護符を結びつけ、お守りとする。
現在は祇園祭の最終公式行事とされている。

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1100年以上続く祭りだけに、
今回は詳しく書いてみました。


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祭りの雰囲気を楽しむだけでもOK。

どういう祭りなのか
予習してから祭りに参加すると

さらに楽しめるのではないのでしょうか?

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2017年07月03日(月)

〜「弥勒菩薩の美しさ:広隆寺」の巻〜 ピロピの 新人ドライバー奮闘記!  SEE THE LIGHT! [観光情報]

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皆さん こんにちは。

今回は・・・・
あまりにも有名ですが、
何時間見ても
その美しさに見とれてしまう、

国宝第一号!!
太秦にある広隆寺

「弥勒菩薩半跏思惟像」(みろくぼさつはんかしゆいぞう)

について書いてみたいと思います。

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広隆寺。

真言宗のお寺。

京都太秦にある「秦氏」の氏寺。

京都三奇祭の一つ「牛祭」で有名な寺。


広隆寺は平安時代以前から存在した
日本最古の寺院の一つで、
帰化人である「秦氏」によって開かれました。

秦氏は朝鮮から日本に渡って
現在の桂川流域を開拓して
織物、土木技術を広めた、
京都にとって重要な氏族です。

「太秦」「蚕ノ社」など
広隆寺近隣の地名は
秦氏と関係しています。

その広隆寺開祖、
秦河勝が聖徳太子から賜ったと伝えられる仏像、

それこそが「弥勒菩薩半跏思惟像」だと伝えられています。

それ故に聖徳太子も広隆寺に祀られているのです。

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広隆寺には二体の国宝「弥勒菩薩」が霊宝殿にて常時公開されています。

「宝冠弥勒」と「宝髻弥勒」のうち、
霊宝殿の中央にその姿を見ることが出来る
「宝冠弥勒菩薩」!!

この仏像は美しいだけでなく、
歴史ロマンが詰まった存在なのです。

まず、日本の仏像では珍しい赤松から造られていること、
そのスリムな体の線、
これまで韓国にある弥勒菩薩との共通点が指摘され、
新羅から渡り引き継がれたもの?
と考えられてきましたが、

1968年に内部の背板に楠材が使われている事が判明。
日本で造られた可能性も出てきました。

当時は漆塗りの上から金箔が張られていましたが、
湿気に強い赤松のため、
現在のように良い状態で残されてきました。

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弥勒菩薩の微笑みは「アルカイック・スマイル」として知られ、
半跏思惟像の姿勢が
ロダンの考える人に通じることから
世界的にも「東洋の詩人」と呼ばれています。

弥勒菩薩は、

お釈迦様の次に現れる未来仏で、
(一説では56億7千万年後というとてつもない遠い未来ですが)
菩薩の中の頂点に位置し、

多くの人々に慈悲深く救いの手を差し伸べる仏様です。

現生だけでなく、あの世でも人々を救う
弥勒菩薩への信仰は深く、

あの弘法大師が最も信仰していた菩薩様としても知られています。


これだけの国宝がありながら
広隆寺は京都観光の「隠れたスポット」。

静かにゆっくりと歴史ロマンを堪能できます。


是非足を運んでみて下さい。



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2017年06月19日(月)

〜「一見さんお断り その2:祇園町の世界」の巻〜 ピロピの 新人ドライバー奮闘記!  SEE THE LIGHT! [観光情報]

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先日 あるお茶屋の女将さんと話せる機会がありました。


「一見さんお断りの巻」で
軽く書かせて頂いた世界の歴史と奥深さ!
新人ドライバーの僕にとって興味津々、魅力的なことばかり。

お茶屋さんは華やかな花街の「裏方さん」。
全ての仕事は「段取り」が要(かなめ)。
同じ接客の仕事をする者として 尊敬の念を抱きます。

そんな「裏方さん」の世界にも
厳しい現実とドラマがあり、

そこに感銘を受けたので
再び書いてみよう! と思い立ちました。


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祇園で働く女性たち。


地元の人たちは

祇園のことを 「祇園町(ぎおんまち)」 と呼びます。


「お茶屋」は、約300年前の江戸時代に
八坂神社にある「水茶屋」が起源とされているそうです。

水茶屋とは神社仏閣へ参詣する人や街道を旅する人にお茶をふるまった店の事。
その店で働いていた茶汲女〔ちゃくみおんな〕が
歌を聞かせ舞を見せるようになったのが現在の舞妓・芸妓だそうです。

初めは神社に参詣客や旅人にお茶や団子を提供していましたが、
いつしか酒や料理が加わり、
それを運んでいた娘たちが歌舞伎を真似て三味線や踊りを披露するようになり、
芸妓・舞妓になっていったといわれてるそうです。


「祇園町」は一見さんお断りの世界。

半径1キロしかない町は
時代から隔離された世界があり、
お客もその隔離された
時代錯誤の世界に魅力を感じて
何度も通うそうです。


その世界で
お茶屋に生きる女性たちには
それぞれ宿命があるそうです。

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お話を聞かせて頂いた女将さんは、
20代の頃に 某老舗お茶屋の女将となり、
45年以上祇園町に生きる女性。


まず、
「お茶屋」に生まれた女の子は
家を継ぐ宿命にあります。

花街に生きていれば色恋から逃れられないのですが、
結婚は許されない。

ではどうして子孫を残すのか?
彼女たちの多くは未婚の母。
子供たちは女だけの厳しい世界で生きる宿命。
それが嫌なら町から出る、
家族と縁を切るしかないのです。

女将さんも
若いころに大恋愛。
一時は家を出ましたが、

女の子を授かり、
先代の女将(お母さん)の
「子供と二人で店に生きるなら戻ってきなさい」
という言葉によって、
祇園に戻ってくるのです。

その時に
自分は一生祇園町で生きていく、と決心したといいます。



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その後、
女将を継承して現在に至るそうですが、
その娘さんも
今は店を継承するため
修行中だとか。

現代では考えられないことですが、
彼女たちは300年前の世界のまま、
自分の人生を捧げて
「お も て な し」を継承しているのだと
ただただ感銘を受けました。

また、自分ももっと深い「お も て な し」が出来るように
しないと恥ずかしい!とも。


軽々しく「一見さんお断り」や「お も て な し」について
触れるだけではなく
その文化や歴史に勉強していきたいと
強く思った一夜でした。  




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2017年06月12日(月)

〜「ライブハウスと京都」の巻〜 ピロピの 新人ドライバー奮闘記!  SEE THE LIGHT!

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みなさん。

今回は京都の別の一面、
おススメのライブハウスを紹介いたします。

僕は、
大のギター好き。

特にキルトメイプルやフレイムトップのストラトには目がなく、
友人のギターテクニシャンに自分好みのギターを作ってもらうほど、
音楽好きで、
現在ギター10本、ベース2本を持ってます。

京都は国際的な観光地でもあり、
市内に大学が多い、
学生の街でもあり、

ライブハウスの歴史と
交流も年齢、性別、国籍を超えた
深いものがあります。

数あるライブハウスの中でも
「お気に入りの場所」
を紹介したいと思います。






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磔磔(たくたく)

場所: 富小路仏光寺下ル
キャパ:350人


オープンしてから今年で43年を誇る
知る人ぞ知るライブハウス。

外観からわかる通り
京都らしい
古い酒蔵を改装したハコで、
1974年創業当初は
「レコード喫茶」としてオープン。

翌年からライブをはじめ、
国内外問わず、学生バンドからプロまで
憧れの場所です。

「磔磔 (たくたく)」という言葉には
物の聲、鳥の羽ばたく音。源流から転がる小石は何処へ行かん・・・

といった思いが込められています。

今年は築100周年イベントも7,8月に開催され

細野晴臣、birthday partyなどのツアーも予定されてます。

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拾得(じっとく)


場所:大宮下立売下ル


拾得は築300年の酒蔵で1973年に「coffee house 拾得として」営業を開始。
磔磔とともに京都ライブハウスの歴史を築き、
現在までその姿を維持し続ける京都で最も古いライブハウスです。

日本で最古のライブハウスとしても有名で、
「ライブハウス」という言葉はここから始まった、と言われています。

現在の店内の机や座敷の畳も開業当時のままで、
玄米を使ったご飯定食や自家製パンを使用したサンドウィッチも有名。


敷居の高くない、常連から学生さんまで気軽に入れる場所で、
一人で行っても温かい雰囲気で迎えてくれます。




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京都MOJO


場所:四条新町
キャパ:250人

京都に数多あるライブハウスの中でも王道をいくライブハウス、

ジャンルにとらわれず日本全国のツアーバンドを招き、毎日パワー全開のハコ。

入口の壁には過去の出演者のアーティストパスが張られ、
長い年月の歩みがわかります。

キモカワ系イメージキャラクターである「モージョ君」の親しみやすさと同様に、
明るく間口の広い京都MOJO。

良い緊張感のなか元気な音楽と人に出会うことができて、
音楽が好きな人やバンドが好きな人なら
誰でも気軽に入ることができます。

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和音堂


場所:三条河原町下ル


2005年12月オープンした割と新しめ京都三条河原町のライブハウス「和音堂(わおんどう)」。

アットホームな雰囲気と元気スタッフが売り、

ワンマンLIVEからアコースティックなら誰でも参加出来る「飛び入りライブデー」、
名物マンスリーセッション、爆音LIVEなど様々なイベントを開催

自分も演奏してみたい人は「飛び入りライブデー」を要チェック。
楽器持参で楽しめます。




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AKKUN'S 510


場所:四条烏丸

α-stationのDJである"アックン”こと後藤晃宏さんが烏丸通蛸薬師に
オープンしたカフェダイニング&ライブハウス。

アックンならではの音楽へのこだわりを最大限に生かした空間づくりで、
毎週ステージで行われるイベント・ライブの他、

毎月行われる「飛び入りライブ」では
ホームページで課題曲が発表され、
各パート演奏したければ挙手!!!

何度もアンコールされるので
必ずステージで演奏できます。






いかがでしたか?
まだまだおススメしたい場所があるのですが、
その中から一部紹介しました。



京都では70年代にブルースブームがあったそうで、
ライブハウスでも盛んに演奏されていたようです。


その後、ヘビメタやファンク、R&Bなど
学生バンドブームもあって盛り上がり、

ジャズ、カントリー専門の場所も。
いろんなジャンルを楽しむことが出来るのです。


古くは「雅楽」から始まり、
京都では様々な音楽が街とともに今も鳴っています。




京都で音楽。ぜひ楽しんでみて下さい。

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2017年06月07日(水)

〜「雲中供養菩薩:平等院」の巻〜 ピロピの 新人ドライバー奮闘記!  SEE THE LIGHT!

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平等院といえば・・・



京都が誇る世界遺産17か所のひとつ。

鳳凰堂。 10円玉の表の絵。

阿弥陀如来坐像。

藤原道長と頼道。


など、

皆さんもネットやガイドでよくご存じの寺院。



そんな平等院に足を運ぶ度、
僕の心を震わすのは国宝ながら
ベスト・サポーティング・アクト!!!

阿弥陀如来像を見守るように渋い存在感を示している
52体の菩薩像!!

それが 「雲中供養菩薩像」(国宝) です。


今回はここに光を当ててみました。

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雲中供養菩薩を紹介するには、
まず簡単に平等院と創建時の時代背景を説明させてもらわないと
幕が上がりません。

平等院は
平安時代後期に、藤原道長の別荘だった建物を
その子関白頼道が「寺院」に改めたのが始まりです。

奈良時代に日本に広まった仏教は
その頃平安後期になると、
「末法思想」という、お釈迦様が亡くなって2000年目には仏教は廃れる・・という思想。
これが天災が続いたことによって
「終末的な思想」・・・つまり、

仏教は現生での救済 から 来世での救済ととらえられる様になりました。


当時の貴族たちは、
現生での極楽浄土を願うようになり
頼道は 極楽浄土の救世主、阿弥陀如来を本尊に、


現生での極楽浄土を再現したく、鳳凰堂(阿弥陀堂)を建立し、

鳳凰堂内部の阿弥陀如来、壁画、鳳凰堂の周りの庭園(浄土式庭園)

そして今回の主役「雲中供養菩薩」

まさに、極楽浄土の再現!!
「来世でも救われたい」という当時の人々の願いが込められた寺院なのです。

画像(400x314)・拡大画像(800x628)

雲中供養菩薩

阿弥陀如来坐像の作者、
平安時代屈指の仏師 定朝(じょうちょう)の工房で作られた52体。

阿弥陀如来を囲むように
南北26体ずつ並べられていて

それぞれ飛ぶ雲に乗って、
楽器を演奏したり、踊ったり、祈ったりしていて
繊細な作風ながらダイナミックなインパクトを与えてくれています。

それぞれ頭に光の輪(頭光)があり、
5体は僧形、
奏でる楽器は 琴、琵琶、縦笛、横笛、笙、太鼓、鼓、鉦鼓など。


この菩薩たちは
阿弥陀如来が來迎するのを、音楽を奏でたり踊ったりして見守っているのを表していると
伝えられています。

画像(400x298)・拡大画像(800x597)

52体の中で「いちおし」は
この太鼓を叩く 南24号の菩薩です。

どうやってこの躍動感あふれる繊細な像を作ったのか?


今では想像できない、
「現世で、来世で救われたい!」
という当時の人々の思いが成せる業なのです。


鳳凰堂の丸窓からのぞく阿弥陀如来の表情や
水面に浮かぶ姿、
内部の壁画や像が奏でる「極楽浄土の音楽」。

全てを支える脇役が
「雲中供養菩薩」だと感じてしまうのです。


現在 鳳凰を含め半分の菩薩像を
「鳳凰ミュージアム」内で目の前で拝むことができるので

是非
平安時代の極楽浄土を感じてみて下さい。

Posted by 観光部   パーマリンク

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