観光部ブログ

2017年08月11日(金)

〜「京都のヒーロー:源義経を追いかけて 番外編」の巻〜 ピロピの 新人ドライバー奮闘記!  SEE THE LIGHT!

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番外編として、
おススメの「義経小説」ベスト3を紹介します。


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3位 義経 上・下 / 司馬遼太郎

この小説は最初違和感がありました。
なぜなら、司馬遼さんは義経のヒーロー性というより、
日本史に残る軍事的天才なのに政治的才能は0というところをユニークに
描いているからです。

だから源平合戦の華やかな部分は描かれていません。

でも二回目に読んだ際、
義経のそういった欠点さえ魅力である様に描かれているのでは?
と味方が変わりました。

読み手によって印象の変わる
ユニークな義経小説です。

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2位 新・平家物語 全16巻 / 吉川英治


こちらの大作。
前半は平清盛が主役ですが、
後半は敵方の義経と平教経・知盛のライバル対決と
平家の終焉が描かれていて一気の読破できます。

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1位 源 義経 全4巻 / 村上元三

義経に関して、
この小説を超えるものは無い気がします。

鞍馬時代から奥州時代、頼朝の出会いから
源平合戦、都落ちから再度奥州時代。

全て魅力的に描かれていて
家来や登場人物もキャラが生きていて
静香御前や義経の周りの女性たちも
生き生きと描かれています。


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〜「京都のヒーロー:源義経を追いかけて そのA」の巻〜 ピロピの 新人ドライバー奮闘記!  SEE THE LIGHT! [観光情報]

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義経が幼少時代をすごした
鞍馬付近へ。

出町柳駅から叡山電鉄で「鞍馬駅」へ。

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鞍馬寺


湛慶作の仁王像を潜り、
まず目に飛び込んできたのが比較的新しい朱塗りの社。
立て札には「鬼一法眼社」とあり、
牛若丸に兵法を授けたと言われる武芸の達人・鬼一法眼を祀っている。


『義経記』によると法眼ははじめ、弟子を使って義経を殺害させようとしたが失敗した。
その後に義経の魅力を知り、兵法を授けたそうだ。
武蔵坊弁慶
常陸坊海尊
佐藤継信・忠信兄弟
金売り吉次

鎌倉方でも
佐々木高綱などは 義経に惹かれていった記述が多く残っている。

政治感覚はゼロだった義経だが、
軍事的天才、そして何より人としての魅力を
兼ね備えていたと思われます。

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さらに奥へ進むと
「鞍馬の火祭」で有名な由岐神社が。

有名な天狗のおみくじもあります。

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さらに進むと
川上地蔵堂があります。

仁王門から本堂へと続く急坂は「九十九折の坂」として
枕草子にも読まれているそうです。

「川上地蔵堂」
比較的新しいお堂とお地蔵さんが。
ここには牛若丸の守り本尊の地蔵尊が祀られており、
鞍馬での剣術修行の際手を合わせていたと伝わっています。

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東光坊跡

さらに登ると、
牛若丸が7歳から10年間暮らした東光坊跡がある。

遮那王と名乗り、
覚日阿闍梨の元で仏法修行に励むはずだった義経だが、
夜な夜な東光坊を抜け出し、
父の敵を討つべく奥の院で
兵法修行に励んでいたと伝わる場所。

現在では義経供養塔が建っています。

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鞍馬寺金堂

程なく「金堂」に辿り着いた。
本尊・鞍馬山尊天は秘仏とされ、
代わりに大杉権現の霊木で作った尊天が拝観できる。

宝殿は薄暗く、信者の髪の毛を納めた容器が並んでいます。

9月15日には義経祭が開催される。
毎年、義経の御霊を慰め業績を称えている。

金堂の横には「瑞風庭」と呼ばれる盛り砂がある小さい庭がある。
これは650万年前に人類救済のため、
魔王尊が金星より降臨したところを表したもの。

瑞風庭の脇を通ってまた険しい階段が続く。
ここは奥の院魔王殿に続く道があります。


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少し上がると「牛若丸息次ぎの水」がある。



牛若丸が東光坊から奥の院へ兵法の修行に通った時に
喉の乾きを潤したと言われる清水。

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暫く登ると「遮那王堂」「義経公背比べ石」が並んである。

背比べ石は義経が16歳で鞍馬山から降り、
奥州に向かうときに背比べをしたと伝わる石。
その石は意外に小さく、高さ1.2mくらい。



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魔王殿まで登る道は、 「木の根道」と呼ばれ、
杉の根が地を這うように複雑に絡み合っている。


更に登ると「僧正ヶ谷不動堂」。
杉の大木がそびえ立ち、深山幽谷の気配が漂うこの辺りは、
謡曲で牛若丸が鞍馬天狗と出会い、兵法を伝授された所。
堂内には伝教大師が刻んだと伝えられる不動明王像が安置されている。

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その向かいには
義経を祀る「義経堂」があります。

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奥の院魔王殿。

650万年前に金星より降臨した魔王尊を祀っている。
周辺に露出している石灰岩は
2億6000年前に海底が隆起したものであると言われています。

こういう環境のもと、
義経の才能は磨かれていったのです。

歩いて登ってみると、
一の谷の鵯越の逆落とし、
屋島の奇襲、
壇之浦の八艘飛びなど、
全てが鞍馬山の生活とダブってくるのです。

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〜「京都のヒーロー:源義経を追いかけて」の巻〜 ピロピの 新人ドライバー奮闘記!  SEE THE LIGHT! [観光情報]

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皆さん。
残暑お見舞い申し上げます。



今回は京都生まれ、京都育ち、
日本史上最も人気のある、なぞに包まれた武将、
京都のヒーロー「源義経」にスポットを当ててみました。



義経に関連する京都観光を紹介しようと思います。





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義経。

「判官びいき」という言葉は
義経の短い、華麗な、謎の人生を
後世の日本人が愛してきたことを
表す言葉で、

悲劇的ではあるが
華やかな義経という武将を、
鎌倉幕府を築き歴史上名を遺す
兄の頼朝よりも好む、
日本人の国民性を表していると思います。




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九郎判官・源義経は京都生まれ。

幼い頃父・義朝を亡くし、
母・常磐御前が敵方の平清盛の愛妾になることで
義経は生き延びる事になります。

幼名を牛若丸といい、
6歳の時、僧侶になるべく鞍馬山に預けられるが、
夜な夜な抜け出し、
天狗に兵法修行を受けていたという話は有名。

その後、奥州へ渡り藤原秀衡の擁護のもと成長し、
異母兄・頼朝の挙兵に応じて平氏追討の戦いに参加。

宇治川の戦い、一の谷、屋島、壇之浦など数々の戦功を立てる。
戦いには天才的な能力を発揮するが、政治能力はなく、
間もなく頼朝に疎まれ、
逃れた奥州衣川で武蔵坊弁慶らに守られて自刃しました。

後世、「義経記」をはじめ、
「義経千本桜」など、現在ではアニメやコミックの主人公として
義経は愛され続けて多くの伝説も残っています。


義経の故郷、京都にも鞍馬山にもゆかりの史跡が多く残されている。 

その史跡を巡ってみましょう。

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北区紫竹に牛若丸が幼少期を過ごした 「牛若」という地名が残っています。

父・源義朝の別邸が紫竹にあったとされ、
母・常磐御前はこの地で牛若丸を出産。
そのため牛若丸と生母・常磐御前にまつわる史跡が数多く残ってます。

まず市バス46号系統「牛若」で下車してみましょう。

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常徳寺。

北山通と牛若通が交差する角に常徳寺はあります。
お堂の奥に常磐御前が牛若丸の安産を祈願して寄進したと伝えられる
「常磐地蔵」が鎮座しています。


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常徳寺付近の光念寺にも
常磐御前の守り本尊「腹帯地蔵」が 祀られています。

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紫竹付近に源義朝邸があったとされていて、
「牛若丸誕生井」と刻まれた大きな石碑が、畑の中に立っており、
その裏側に小さな井戸があった。
同じ敷地内には「胞衣塚」と言われる小塚があり、
ここに牛若丸のへその緒と胞衣が埋められたと伝えられています。

(地図を参照ください)

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首途八幡宮。

市バス46号系統に乗り、千本今出川バス停下車。


西に7分ほど歩き、今出川智恵光院上がったあたりに
「首途八幡宮」(かどではちまんぐう)がある。

ここは義経を奥州に導いた金売吉次の邸宅があった所で
首途(かどで)という名の由来は義経が奥州出発に際し、
ここで道中の無事を祈願したところから来ている。

現在でも義経にあやかって
旅行の安全を願う参詣者が多いと聞きました。



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三条河原町を西へ


三条麩屋町東のビルの前に、
「弁慶石」がある。

牛若丸を助けた弁慶が常に腰掛けていた石だとも、
比叡山から弁慶が投げた石とも、
平泉衣川の戦いに立ち往生した弁慶がこの石になったとも、
不思議な伝説があります。

元は鞍馬口にあったものが
洪水によってこの地に流れ着いたそうです。

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蹴上

三条大橋を渡り京阪三条から西へ。
蹴上という地名があります。

奥州へ向かう途中、
義経は蹴上の地で9人の平家の追手を殺しました。
(武者の馬が蹴上た泥水がかかったので怒って殺したので
蹴上という地名になったという説もあります)。


義経大日如来

その菩提を弔うために9体の地蔵を祀ったというのだが、
そのうちの一体が
蹴上のインクラインを上がったところにある「義経大日如来」です。

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牛若丸弁慶像


牛若丸と弁慶が決闘した五条大橋を渡ると、
小さな石造りの牛若丸と弁慶像が見えてくる。
実際は現在の松原橋あたりが当時の五条大橋。


牛若丸はここ五条大橋の欄干の上で
刀狩をしていた弁慶の攻撃をひらりひらりと交わした?
そして弁慶は牛若の家来となった?
という伝説は皆さんご存知でしょう。

義経も弁慶も伝説の多い存在で
ほとんどが後世に作り足されたものだと
思いますが、
鎌倉方の手記にも義経の武勇伝は多く残されていることや

一の谷の大勝利のあと、
あまりの義経人気に 頼朝によって軍から外されるが、
戦況が停滞したことで
義経復帰、一気に大勝利したこと、

そういった事実から義経の華やかさや軍事的才能は
ヒーローにふさわしい存在であったのは間違いない
と思います。

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2017年07月31日(月)

〜「京都五山送り火」の巻〜 ピロピの 新人ドライバー奮闘記!  SEE THE LIGHT! [観光情報]

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祇園祭が終わると
夏休み本番。
そしてもう一つの
京都夏の風物詩
「大文字の送り火」を迎えます。

8月16日夏の夜空をいろどる京都五山送り火。
この送り火としては東山如意ケ嶽の
「大文字」がもっともよく知られています。

そのほかに金閣寺大北山(大文字山)の「左大文字」、
松ヶ崎西山(万灯籠山)・東山(大黒天山)の「妙法」、
西賀茂船山の「船形」、
及び嵯峨曼荼羅山の「鳥居形」があり、
これらが、同夜相前後して点火され、
これを京都五山送り火とよんでいるのです。

今回は五山送り火について
書いてみます。

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以前には
「い(市原野)・
「ー」(鳴滝)・
「竹の先に鈴」(西山)・
「蛇」(北嵯峨)・
「長刀(観空寺村)なども、送り火として点火されていたらしいですが、
いつの間にか廃止されました。

―般的に、送り火そのものは
盆の翌日に行なわれる仏教的行事であり
ふたたび冥府にかえる精霊を送るという意昧。

通説によれば、この夜、松明の火を空に投げ上げて
虚空を行く霊を見送るという風習があり、
京都五山の送り火は、
これが山に点火されて
そこに留ったものであるといわれているそうです。



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それでは、
8月16日。
いつどこで送り火を見るといいのか??

スケジュール、
場所を図でご確認下さい。

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2017年07月10日(月)

〜「祇園祭」の巻〜 ピロピの 新人ドライバー奮闘記!  SEE THE LIGHT! [観光情報]

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皆さん こんにちは。

7月に入り京都は「祭りムード」満開です。

今回は「祇園祭」にスポットを当てたいと思います。

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「祇園祭」は
八坂神社の祭で、毎年7月1日(吉符入)から31日(疫神社夏越祭)まで、
1ヶ月にわたっておこなわれる日本三大祭のひとつ。

17日(前祭・山鉾巡行と神幸祭)と24日(後祭・山鉾巡行と還幸祭)その宵山が有名ですが、
実に多彩な祭事がおこなわれる、大きな祭りです。

 

今からおよそ1100年前の(869年)に、京洛に疫病が流行し、庶民の間に病人、死人が多数出たそうです。
これは、牛頭天王(ごずてんのう、素盞鳴命ともいわれている。)のたたりであるとし、
そのご機嫌をとるため神をまつり、祇園社(八坂神社の前身)を信仰し、病魔退散を祈願したというのが始まり。

その方法は、日本全国の国の数に準じて66本の鉾をつくらせ、それを神泉苑(中京区御池通大宮)におくり、
悪疫を封じ込む御霊会をおこなったのがはじまりであると伝えられている。
その後、祇園社の興隆とともに、"祇園御霊会"とよばれ、この名が略されて単に祇園会とよばれるようになった。

その後は応仁の乱などで
再三中断されていたものの
先に述べた祇園会などの強い思いもあり
京都の歴史とともに存続されてきた祭です。

鉾が今のような形になり、豪華な飾りをつけるようになったのは、
桃山時代から江戸時代にかけて貿易がおこり、
町衆の間でゴブラン織や西陣織などが
競って用いられるようになってからであるそうです。


それでは
「祇園祭」の期間 どのような行事があるのでしょうか?

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7月1日から
吉符入(きっぷいり・各山鉾町ごとに日付が異なるが5日までに行われる。多くが一般非公開)。
祭りの始まり。各山鉾町関係者が町会所に集まって祭の無事を祈願する。
長刀鉾町稚児お千度(八坂神社)。

7月2日
くじ取り式(京都市役所)。下記参照。
山鉾町社参(八坂神社)くじ取り式を終えた山鉾町の代表者が八坂神社に向かい本殿でお祓いを受ける。

7月3日
船鉾神面改め(船鉾町町会所・一般非公開)本面と写し面の2つの神面を出して無事を確認する。


7月5日
長刀鉾町稚児舞披露(長刀鉾町町会所)。
稚児が長刀鉾町の関係者の前で稚児舞を披露し、
これでよい旨の了承が得られると町会所2階の窓を鉾の前面に見立てて、大衆に稚児舞を披露する。

7月7日
綾傘鉾稚児お千度(八坂神社)。
長刀鉾町お千度と同様に、正副6人の稚児が八坂神社で稚児に選ばれたことの奉告を行いう神事の後、
関係者を従えて3回本殿を回る「お千度」を行う。
また、この時に稚児役の少年は山鉾町と形式的に養子縁組する。

7月10日
神用水清祓式(四条大橋および宮川町堤)。
四条大橋のすぐ南の東岸に作られた祭壇で神事を行ったあと、
四条大橋の上から桶を使って夜の神輿洗いで使う水を鴨川から汲み上げる。

お迎え提灯。提灯に加え、児武者、鷺踊、小町踊らの子供たちを中心に、
各山鉾町からの代表者らも加わり八坂神社から、
2013年(平成25年)までの花傘巡行と同一コースを提灯行列を作って巡行する。
京都市役所前で各種芸能を奉納し、八坂神社西門下に戻って神輿洗いに向かう前の神輿を迎える。

神輿洗い(四条大橋)。
大松明が八坂神社から四条大橋のういだの四条通を清めたあと、
3基ある神輿のうち、中御座だけが代表して四条大橋まで行く。
朝汲んだ水を榊に含ませて大きく振りかざし、神輿に振り掛けることにより清める
この際榊に含まれた神用水は見物人を含めた周囲の人にも掛かる。
飛沫を浴びると厄除けになるという。

7月10日〜12日 - 前祭の鉾建て(四条通・室町通)。
分解収納されていた鉾を組み上げ、懸装を施す。

7月11日〜13日 - 前祭の鉾建て・曳山建て(新町通)

7月11日 - 鉾の真木の引き起こし(長刀鉾・函谷鉾・鶏鉾・月鉾・菊水鉾)
年・鉾により異なるが、10時ぐらいから15時ぐらいまでの間に順次行われる。

7月12日
前祭の舁山建て(午前)(保昌山・山伏山・芦刈山)
前祭の鉾の曳き初め。
14時・函谷鉾(四条通)。
14時30分・鶏鉾(室町通)。
15時・月鉾と菊水鉾(四条通と室町通)。
15時30分・長刀鉾(四条通)。
放下鉾の真木の引き起こし。岩戸山の引き起こし。
年にもよるが、12時から15時ぐらいの間に行われる。

7月13日
前祭の舁山建て(午前)(占出山・霰天神山・郭巨山・伯牙山・油天神山・木賊山・太子山・白楽天山・蟷螂山)
前祭の傘鉾建て(午前)(綾傘鉾)
12時、前祭の舁山の舁き初め - 蟷螂山(西洞院通)。
15時、前祭の鉾・曳山の曳き初め - 放下鉾・船鉾・岩戸山(すべて新町通)。
長刀鉾稚児社参(11時頃・八坂神社)。
久世駒形稚児社参(14時頃・八坂神社)。
菊水鉾茶会(この日から16日まで・菊水鉾町会所)
この日から一部の山鉾に駒形提灯が取り付けられ、宵々々山と同様の飾り付けや山鉾の拝観が始まる。

7月14日
前祭の舁山建て(午前)(孟宗山)
前祭の傘鉾建て(午前)(四条傘鉾)
前祭・宵々々山。
2013年(平成25年)まではこの日から露店が出たが、
2014年(平成26年)からは露店が出ず四条通・烏丸通の歩行者天国も実施されない。
そのため比較的落ち着いた人出となっている。

7月15日
4時30分・高橋町斎竹建(四条麩屋町交差点・巡行時、稚児が切断する注連縄を渡す竹を建てる)。
手洗井戸開き(早朝・四条錦小路交差点北)。手洗水の井戸の蓋をあけ、清祓を行う。
月次祭並庖丁式(10時・八坂神社)。

毎月15日の月次祭が祇園祭に重なるのに合わせ、日本式庖丁道生間流の庖丁式を神前に奉納する。
前祭・宵々山(この日と16日の宵山の深夜までの両日、出店・夜店が立ち並び、
四条通と烏丸通が歩行者天国になる)。

山伏山護摩焚き(14時頃 山伏山町路上)。
2014年から始まった行事。聖護院からやって来た山伏たちがまず町会所2階の
山伏像の神体の前で法要を行った後、23日の「役行者山護摩焚き」と同様に路上で護摩焚きを行うが、
護摩壇は役行者山護摩焚きのように巨大ではなく、
密教寺院の堂内で行っている程度のサイズである。

後祭も前祭と合同で開催されていた頃は役行者山護摩焚き
(7月16日の宵山の日に開催されていた)に参加した山伏達が、
山伏山に立ち寄って参拝するだけだった。
伝統芸能奉納(15時〜18時八坂神社 日本舞踊や尺八などを奉納)
宵宮祭(遷霊祭とも。20時・八坂神社)。本殿から神輿に神霊を移す神事。
クライマックスの5分間ほどは境内のすべての明かりが消され、闇の中を神霊が遷る。

7月16日
前祭・宵山。14日〜16日をまとめて「宵山」と総称することもある。
献茶祭(9時・八坂神社)。表千家と裏千家が隔年交代で、
神社境内の井戸水で茶を点てて神前に供える。
宵宮神賑奉納神事(18時・四条通祇園商店街)。
八坂神社近くの路上に作られた臨時ステージで舞楽・京舞・鷺踊などが奉納される)。
石見神楽(18時半・八坂神社)。
祭神にちなむ石見神楽が奉納される。
前祭・日和神楽(22時頃・各山鉾町〜八坂神社御旅所往復)。
次の日の巡行の安全と好天を祈願して、囃子方を持つ山鉾町の人々が祇園囃子を演奏しながら四条寺町の御旅所まで往復し、御旅所では囃子を奉納する。
船鉾神功皇后御神体腹帯巻き(23時30分・船鉾町町会所・一般非公開)。
宵山期間に町会所で授与された安産の腹帯は、普通はすぐに祈願者側に手渡さず御神体に何重も巻かれる。巡行後外したあと初めて祈願者に渡される。

7月17日
前祭・山鉾巡行。9時出発。下記参照。
神幸祭(神輿渡御)。通称「おいで」。

7月17日〜24日
無言詣(四条寺町・御旅所)御旅所に神輿が鎮座する間、
毎晩無言で夜間参拝を行うと、どんな願いも叶うとされる。
最終日は四条大橋と御旅所を7往復半するのが正式とされる。

7月18日〜20日 後祭の鉾建て(大船鉾)

7月19日〜20日 後祭の曳山建て(南観音山・北観音山)

7月19日

後祭の舁山建て(午前)(鯉山)
松取式(13時頃・六角町(北観音山の南側))。
北観音山と南観音山の2本の真松は市内鳴滝で伐採され運ばれてくる。
両町の代表者がまず予備抽選としてジャンケンをし、勝った方が本抽選の順番を決定できる。
本抽選は縄切れを引く方式のくじ引きで、勝った町が先に松を選ぶことができる。
勝った方は「良い松を選べた」負けた方は「良い松を残してもらった」と言うのが通例。
後祭の曳山の引き起こし(年にもよるが、15時から17時ぐらいの間に行われる)

7月20日

南観音山真松白鳩取り付け(朝)。前日に引き起こした山の真松に、
木登り名人の大工が登って。白鳩の木彫を取り付ける。
後祭の舁山建て(午前)(浄妙山・黒主山・役行者山・鈴鹿山)
後祭の舁山建て(午後・八幡山。八幡山は新町通にあるため、他の舁山のように午前から建て始めると15時に新町通で行われる曳山の曳き初めに支障するため)
15時・後祭の鉾・曳山の曳き初め - 大船鉾・北観音山・南観音山(すべて新町通。2014年(平成26年)は大船鉾のみ14時だったが、復興初年だったこともあり通りが見物客で大混雑し四条通から北に行くことを断念した。2015年以降は混雑を分散するため他の曳山と同じ15時に変更された)
15時・花傘巡行馬長稚児・児武者宣状式(15時・八坂神社)
16時、後祭の舁山の舁き初め - 八幡山(新町通)。

7月21日
後祭の舁山建て(午前)(橋弁慶山)
11時、後祭の舁山の舁き初め - 橋弁慶山(蛸薬師通)
後祭・宵々々山。

7月22日
後祭・宵々山。

7月23日
後祭・宵山。
煎茶献茶祭(9時 八坂神社)
琵琶奉納(13時 八坂神社)
役行者山護摩焚き(14時頃 役行者町路上)。
聖護院からやって来た山伏たちが宵山期間に奉納された護摩木を
路上に作られた大きな護摩壇で焚き上げ、
護摩を奉納した人の祈願成就と、明日の巡行の安全を祈る。
オハケ清祓(14時・境外末社又旅社)。翌日の還幸祭の時に神輿に乗った神霊は、
又旅社(御供社)のオハケと言う御幣に宿って休憩すると言われる。
そのオハケを予め清める儀式。
後祭・日和神楽(22時頃・各山鉾町〜八坂神社御旅所往復。
長刀鉾は八坂神社まで往復する。23時前後に各山鉾町に戻った一行は、
山鉾にもよるが山鉾のまわりでも祇園囃子を演奏したり、三三七拍子を行ったりする町もある)
南観音山あばれ観音(要員が日和神楽から戻り次第、23時〜23時30分頃開始)。
本尊の楊柳観音像を布に包んだうえ蓮台にぐるぐる巻にして、
同じく布に包んだ善財童子像を抱えた人の先導で町内を南北端の交差点まで走りながら3往復する。
交差点と南観音山の脇では「ワッショイ」の掛け声と共に激しく上下に揺らす。
夜更けの行事ではあるが多くの見物客で町内は埋まる。

7月24日
後祭・山鉾巡行。9時30分出発。
花傘巡行。下記参照。この日に行われていた後祭の代わりに始められたものだが、
後祭復活後も継続。一部区間では後祭・山鉾巡行に続いて巡行する。
還幸祭(神輿渡御)。通称「おかえり」。
22時頃から順次神輿が八坂神社に到着し、宵宮祭と同様に照明を消した中で神霊が本殿に移される。
丹波八坂太鼓奉納(八坂神社等)。
八坂神社の分社である京丹波町の「尾長野八坂神社」(八坂神社の御神田がある)
に伝わる太鼓を八坂神社境内や還幸祭の神輿渡御途中で奉納する。

7月25日
狂言奉納(13時・八坂神社)。境内の能舞台で茂山狂言が奉納される。
千団子(14時・境外末社又旅社)。還幸祭の際に神輿に供えられた団子を、この日お下がりとして参拝者に配布する。食べると厄除けの効果があるとされる。
7月下旬の日曜日
平成女鉾清音会八坂神社奉納囃子(15時30分 八坂神社)。

7月28日
神用水清祓式(10時・四条大橋)。夜の神輿洗いで使う水を鴨川から汲み上げる。
神輿洗い(20時頃・四条大橋)。7月10日の神輿洗いと同様であるが、終了後に神輿は蔵に収納される。

7月29日
神事済奉告祭(16時・八坂神社・一般非公開)祇園祭の終了を神に奉告する行事で、
かつてはこの神事が祇園祭の最後とされていた。旧暦(太陰暦)。
時代は6月が年により29日までの場合と30日までの場合があったため、
必ず存在する29日を祭の最後の日としたものである。

7月31日
疫神社夏越祭(10時・八坂神社境内摂社 疫神社)。
関係者に続いて一般参拝者が鳥居に取り付けられた茅輪をくぐり、護符を受ける。
茅輪の一部を切り取って護符を結びつけ、お守りとする。
現在は祇園祭の最終公式行事とされている。

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1100年以上続く祭りだけに、
今回は詳しく書いてみました。


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祭りの雰囲気を楽しむだけでもOK。

どういう祭りなのか
予習してから祭りに参加すると

さらに楽しめるのではないのでしょうか?

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